今から13年前の2007年10月~2008年2月までの間、福岡市立こども病院に付き添い入院をしていました。
現在は移転して新しくなり、病室も全て個室と聞いています。
私たちが入院した当時は昭和55年に開院した時からの建物で老朽化してボロボロでした。
そこでの付き添い入院の決まりごとは今では考えられないものがいくつかあったと思います。
13年前の付き添い入院の今では考えられない事をまとめています。
今では考えられない付き添い入院の決まり事8つ
“考えられない” と言うとマイナスのイメージが浮かぶような気がしますが、私にとっては “あれはあれで良かったよなぁ” と思える事が多かったです。
1.病棟内のみんなが友達(まるで団地)
- 診療科ごとに病棟が分けられているので病棟内は心臓病の子どもばかり
- 個室はICUから戻った時に数日入る部屋だけで残りはみんな4人部屋
- 新しく入院してくる子の情報は看護師さんが事前になんとなく教えてくれる
- 大部屋のカーテンは起床と共に開けて寝るまで閉めない
- ママがトイレやシャワーに行く時には部屋にいるママ達で子どもの面倒を見る

東京からの入院で緊張していましたが、病室に入るなり「東京から来たんでしょ?大変だったでしょう。よろしくね」と同部屋のママ達に挨拶をされてうれしくなりました
2.徒歩数分のベビーザらスに買い物オッケー
当時の病院はヤフオクドームの近くにありました。
そこにホークスタウンモールというショッピングモールがありました。(今は違うショッピングモールに建て替えられたようです)
ショッピングモール内にはベビーザらスが入っていました。
オムツやおしりふきが無くなると、看護師さんに少しの間面倒を見てもらって買いに出かける事ができました。

同部屋のママ達にスイーツのお土産を買って帰って一緒に食べたりもしました
3.夕食は宅配も可能
部屋単位で夕食当番というものがありました。
夕食当番になった部屋はいくつかある出前業者の中から、本日の出前業者を選びます。
そして、各部屋をまわり、本日の出前業者に注文したい人から注文内容を聞き集金します。
出前業者にまとめて発注すると、夕食の時間に合わせて出前が届きます。
出前業者は『すし』『中華』『モスバーガー』『ガスト』などがありました。

病院内の売店は品数がとても少ないので出前を注文する人も多かったです。みんなで食堂に集まって出前した物を食べていました
4.実家からの差し入れもオッケー
福岡市立こども病院は当時私が調べた中で心臓血管外科の手術件数が全国1位でした。
私たちのように遠方から入院してくる人も割と多かったと思います。
でも、ほとんどの人は県内に住んでいて、実家も近いというご家庭でした。
そのようなご家庭は、実家のおばあちゃんが手作りのおかずやお菓子などを差し入れしてくれます。
大量に差し入れられたおかずをみんなでいただくこともありました。

食堂にはいくつものタッパーが広げられる事もありました。まるで団地の一室に集まってみんなで一緒に食事をしているような雰囲気がありました
5.親のシャワーは裸の付き合い
老朽化した建物に個室シャワーはありませんでした。
昔使っていた大浴場に手作りのシャワーカーテンで仕切りを取り付けて1度に3人まで入れるようになっていました。
当然ながら脱衣所は共用です。
シャワーをしながら
「私出まーす!」
と声をかけて、一応見られないように脱衣所を順番に1人ずつ使うというシステムでした。
でも、気心の知れたママ同士で入る時には
「見られてもいいよね?」
と言いながら、まるで温泉にきたかのように一緒に脱衣所を使っていました。

いっそのことお風呂ためてくれたらみんなで入るのにね!などと言いながらのシャワータイムでした
6.親の付き添い布団は床に直敷きもオッケー
親の付き添い寝具は折り畳みベッドと布団がそれぞれレンタルでした。
折り畳みベッドはかなり古くて、ちょっと動くたびにキーキーと嫌な音が鳴っていました。
それが嫌で床にビニールシートを敷いてその上に布団を直に敷いて寝ているママ達も多かったです。
家が近い人は布団も自宅から持参していました。
私は遠方入院だったので寝具はすべてレンタルしましたが、寝具代も結構かかってしまいます。
空気で膨らます大きなマットを持参している人もいて、みなさん工夫をこらしてなんとかレンタルしないようにしていました。

夜は寝る直前までカーテンを閉めずに布団の上に座って談笑していました。まるで修学旅行のようでした。
ある時は病気の悩みを話しながら泣いてしまうママがいて、それにつられてみんなで泣いた夜もありました
7.夜泣きをしたら廊下をグルグル歩く
赤ちゃんに夜泣きはつきものです。
入院中でもそれは同じです。
夜泣きが始まると抱っこして廊下を歩き回るママがちらほら。
酸素をしている子は病棟にある酸素ボンベのついたベビーカーに乗せてグルグル歩きました。
歩きながら廊下でコソコソと談笑。
そうしている間に寝てくれる事も多かったです。

産まれてすぐに病気がわかってNICUに入っていた子がほとんどです。ママ達も病気と育児の不安を同時に抱えていました。廊下をウロウロしながら「どうやったら寝てくれる?」なんて話ができたのは心強かったです
8.手術や退院の時には盛大にお見送り
手術室に向かう時、退院する時はみんなで盛大にお見送りをするのが恒例でした。
息子の場合はICUに1か月の長期滞在になってしまった為、病棟に戻った時にはほとんどのママ達が入れ替わっていました。
それでも、看護師さんや残っていたママ達に『おかえり~』と迎えてもらいました。
そして4か月の入院生活を終えて退院する時にも盛大にお見送りしてもらいました。

退院の時に病棟の看護師さんやママ達がみんな勢ぞろいしてくれて本当にうれしかったです
考えられない決まり事が終わりを迎えた
退院してからも連絡を取り合っているママ達が何人かいました。
数年後に入院したママからこんなメールが届きました。
あの入院生活だったから乗り越えられた
他人と必要以上に関わりを持つという事は良い面も悪い面もあります。
ましてや入院生活では『そっとしておいて』と感じる人もいるかもしれません。
でも私はあの入院生活だったから長い入院を乗り越えられたと思います。
我が子が病気で産まれてママ友なんて無縁だったけど、一度に同じ境遇のママ友ができました。
病棟のママ達がみんな心臓病の子なので、悩みも共有する事ができました。
他のママ達も『私だけじゃないんだって思えてうれしくなった』と言っていました。
少し常識から外れた部分もあったと思いますが、精神的には本当にありがたい貴重な入院生活だったと思います。
今は新型コロナウイルスの影響でますます他人との関わりを持てない時代になってしまいました。
でも13年前と違う事はSNSの時代になったという事。
13年前に息子の病名を検索した時にはほとんど見つけられなかった情報も、今では簡単に情報を得て同病の人と繋がる事ができます。
きっと孤独な思いで病気の我が子を見ているママ達も多いと思います。
でも『私だけじゃないんだ』という事に気がつけば、少し心が軽くなるような気がします。
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