先天性心疾患の中でも稀な総動脈幹症(そうどうみゃくかんしょう)で産まれた息子。
13歳の心臓修復手術から1年経過しました。
ご訪問ありがとうございます。
たらこっこ@nikonikotarakoです。
産まれた直後の手術~13歳の修復手術までの記録まとめです
先天性心疾患の発覚
息子の心臓病が発覚したのは妊娠30週の頃でした。
先天性心疾患は100人に1人の割合ですが、妊娠中の超音波検査で病気がわかる場合もあれば、産まれてからわかる場合もあります。
息子の場合は任意の胎児超音波診断を受けたことで心臓病を見つけてもらうことができました。
私が受けた胎児超音波診断についてはこちらに詳しくまとめています ⇩
出産直後の説明
息子の場合は妊娠中には具体的な心臓病の病名まではわからない状態でした。
出産直後にすぐに検査が行われて詳しい病名が判明しました。
総動脈幹症
(そうどうみゃくかんしょう)
大動脈弓離断症
(だいどうみゃくきゅうりだんしょう)
総動脈幹症に大動脈弓離断症が合併している症例はとても稀で100万人に1人(当時の1年間の出生数に対して1人)の割合だと診断されました
検査後に医師から命の選択をせまられました。
命の選択をせまられるというのはどういった状況なのか…当時の様子はこちらにまとめています ⇩
最初の手術
生後7日目に最初の心臓手術。
1回の手術で全てを治すと言われていましたが残念ながらそれはできませんでした。
姑息手術という形で治せる部分だけ治して、残りの部分は体重を増やしてからの手術を目指すことになりました。
セカンドオピニオンを行う
体重6kgになった頃に根治手術に向けてのカテーテル検査を行いました。
そして根治手術の方法を提示されたのですが、その内容に納得がいきませんでした。
そこで3つの病院にセカンドオピニオンに行きました。
結果的には3つの病院で微妙に異なる見解を示されました。
最初の手術をした大学病院を含めると4つの異なる見解になりました。
この中で唯一ベストな方法での手術が可能だと言ってくれた病院で根治手術を受ける事に決めました
遠方の病院で根治手術
根治手術を受けるために
- 東京から福岡への遠方入院
- 酸素と経管栄養チューブをつけた状態で新幹線移動
という状況で入院しました。
新幹線移動の様子・入院時の様子・根治手術の内容についてはこちらにまとめています。
この時の手術は体重6kgで16mmの弁付き人工血管を入れたんだ
人工呼吸器の離脱ができない
根治手術は先生が想定していたよりもベストな状態で終える事ができました。
ところが、いつまでたっても人工呼吸器の離脱ができない状態でした。
原因は先天性心疾患だけではなく気管狭窄を起こしているからという診断でした。
そして根治手術後に人工呼吸器が抜けないまま気管狭窄の手術を行いました。
この時の影響もあって片側声帯麻痺が残りました。
赤ちゃんの頃はほとんど声が出なかったみたいだけど成長と共に少しずつ声が出るようになったよ
13年後の心臓手術
根治手術で入れた弁付き人工血管は体の成長に応じてサイズ変更が必要になります。
根治手術後の説明では小学校に入学した頃に次の手術が必要かもしれないと言われていましたが実際には13歳になるまで手術は必要ありませんでした。
また手術が決まるまで自覚症状などは一切ありませんでした。
しかしエコーで見ると大動脈の基部がコブになって膨らんでいて、ここを確認した方が良いだろうという事になりました。
こうして春休みにカテーテル検査をしました。
検査の結果コブの部分はなるべく早く手術をしたほうが良いという判断になりました。
こうしてコロナ禍でしたが夏休みに手術をすることになりました。
13年目の心内修復手術の内容についてはこちらにまとめています。
術後1年経過
この1年はコロナ禍で学校行事の縮小やオンライン授業などが多く、術後の体には負担がかからずに良い状況でした。
退院後しばらくは体力が戻らずに疲れる様子もありましたが、少しずつ体力が回復しました。
今では元気に過ごしています!
終わりに
重症先天性心疾患の手術についてまとめてきました。
息子の再手術が決まった時にTwitterをはじめましたが、先天性心疾患を育てる方やご自身が先天性心疾患の方などと繋がる事ができて嬉しく思っています。
息子が小さい頃は思春期頃の手術がどうなるのかなんて想像もできませんでした。
今、先天性心疾患の赤ちゃんを育てている方もあの頃の私と同じような気持ちではないかと思います。
思春期の心臓手術がどのような感じなのか、少しでもお伝えできればという思いでまとめました。
最後まで読んでいただきありがとうございました