心臓根治手術後の1歳の頃に片側声帯麻痺と診断された息子さん。
術後はまったく声が出ない状態でしたが、1歳の頃には少しずつ声が出るようになりました。
その時の記録はこちらにまとめています!
『心臓病の後遺症で声帯麻痺。1歳の頃の声の状態の記録(音声つき)』
声帯麻痺のある息子さんの幼稚園の頃の声の記録を音声つきでまとめています!
いつ頃から話せるようになった?
産まれてから1年以上の入院期間で、発達の遅れがありました。
発達や発語の記録については、また別にまとめようと思いますが、今回は声帯麻痺のある息子さんの声の大きさや声の出し方についてのお話です。
話せるようになったのは幼稚園入園後の3歳過ぎから
3歳頃までは「あーあー」「まんまー」「パッパー」くらいの発語でした。
3歳2ヶ月過ぎに幼稚園に入園しました。
そこから少しずつ言葉が出てくるようになりました。
(1歳半~3歳まで)
・根治手術後は大学病院でのリハビリ(発語・発育)を定期的に受ける
・心臓病児の通所施設(こばと園)に週2回親子で通う
・地域の療育センターで定期的に発達テストを受ける
・地域の発達センターに週2回親子で通う

おばあちゃん・・・おぱんぱいち(おたんじょうび)おめでとっ。
おばあちゃん おめでとう。
おばあちゃん おめでとう!(かなり声を張り上げている)
幼稚園に入園して1年後の様子(日記)
幼稚園に入って1年。
まったく言葉の出なかった息子も、今ではだいぶおしゃべりができるようになってきました。
でも、声帯麻痺の影響で、声はとても小さくかすれています。
親ですら、聞き取れなくて、そのまま聞き流すことがあります。
きっと、他人やお友達は、もっと聞き取れないんだろうなぁと思います。
幼稚園のお友達と遊んでいたら
「いつまで風邪ひいてるの?」
「どうして声が小さいの?」
と聞かれました。
やっぱりお友達も、息子の声が小さいと思っているんだなぁ…。
年中さんになってから、息子はあまりお友達と遊ぼうとしません。
今は午前保育期間なので、降園後に公園などでみんなで遊ぶ事が多いです。
でも息子はいつも1人で離れて遊んでいます。
一人っ子なので、もともと1人遊びが上手でした。
小さい頃から、お友達と一緒にいても、マイペースに1人で遊ぶ子でした。
小さい頃はそれでもいいと思っていたけれど、年中さんになって1人でいる様子を見ると、ちょっと心配になります。
息子は息子なりに、お友達との体格の差や、言葉の通じないもどかしさを感じているのかもしれないなぁと思います。
以前の言語指導ではこう言われました。

言葉は順調に増えていくと思います。
でも声帯麻痺は治らないので、声量はこのまま大きくなることは無いと思います。
息子がそれを自覚して、人に聞こえるように努力して声を出すことが出来るようになるまでは、トレーニングも難しいのが現実です。
年少さんの頃は、ただただ幼稚園に通うのが楽しいという感じでした。
でも年中さんは、お友達と自分を比べるようになったり、お友達とのぶつかり合いが出てきたり、色々と難しい問題も出てくるんだろうなぁと感じます。
親としては、ゆっくり見守りたいと思っていますが・・・
声の問題って、心臓病よりも厄介だなぁと感じています。
[2011年4月15日]

息子さんは、性格的にもちょっと臆病でお友達と慣れるまでに時間がかかるタイプでした。幼稚園では同じクラスのお友達と遊ぶよりも、同じクラスの兄弟達(下の子達)と遊ぶ事のほうが多かったです。
卒園前の声の記録
幼稚園に3年間通って、息子さんなりにだいぶ成長してくれたなと思います。
卒園式の前日の息子さんの声の記録です。

卒園式の練習の本番です。(ゴホッ)
月曜日の17日にはもう幼稚園には行きません。
※長くしゃべり続けると息が続かなくなり、息を吸いながらしゃべるので聞こえにくくなります。少しわかりにくいですが、赤字の部分で息を吸っているので聞き取りにくいです。

幼稚園卒園の頃になると、かなり達者におしゃべりするお友達も多かったです。
それに比べると、息子さんのしゃべり方は舌足らずでマイナス1歳~2歳頃という印象でした。
「これで本当に小学校に入学できるの?」というくらいに周りの子との発達の差を感じていました。
まとめ
声帯麻痺のある息子さんの幼稚園の頃の記録をまとめました。
健常な子供ばかりの幼稚園で、発達の違いを感じたり、悩んだりする事もたくさんありました。
でも、幼稚園の3年間でめざましい成長があったと思います。
小規模の幼稚園だったので、周りのママ達みんなに病気の事を理解してもらって、私自身もとても楽しい生活を送ることができました。
今でも連絡を取り合う仲間達に出会えた事はとても嬉しい事だと感じています。
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